「存在しない」を考える

「丸い四角形」について、僕たちは何を話しているのか|「存在しない」を考える〈第2回〉

丸くて四角いクッキーの型。注文は書けるが、型は作れない。それでも「その型は丸い」と言ってよいのか。マイノングとラッセルを手掛かりに考えると、存在しないものの扱い方で、語れる性質も、認められる推論も変わる。連載「存在しない」を考える、第2回。

文・編集|かったつ 約10分
「丸い四角形」について、僕たちは何を話しているのか|「存在しない」を考える〈第2回〉

クッキーの抜き型を注文するとして、こんな希望を書いてみる。

「輪郭は、完全な円にしてください。それと同時に、正方形にもしてください」

注文は書ける。でも、その型は作れない。

それなのに、「頼んだ型は丸いの?」と聞かれたら、「丸いよ。四角でもあるけれど」と答えたくなる。

僕たちは今、存在できない型の性質を説明したのだろうか。それとも、注文に書いた条件を説明しただけなのだろうか。

この違いにこだわると、「ない」ものをめぐる二つの考え方が見えてくる。

作れないことには、二人とも同意する

前回は、「存在しない」を三つに分けた。条件が両立しない。物理法則が許さない。いてもおかしくないが、実在しない。

今回は、最初の「条件が両立しない」を考えたい。

先ほどの注文も、角を少し丸めた四角い型なら作れる、という話ではない。平面上の一つの輪郭が、完全な円であり、同時に正方形でもあることを求めている。

円には角がなく、正方形には四つの直角がある。同じ輪郭にこの両方を求めても、条件は両立しない。円と正方形を重ねて描いても、二つの輪郭ができるだけだ。

こうした「丸い四角形」をめぐって、違う説明をした哲学者がいる。アレクシウス・マイノングと、バートランド・ラッセルだ。[1][2]

二人の違いは、作れるかどうかの判断にはない。

存在できないとわかったうえで、それを一つの対象として扱い、性質を語ってよいか。

分かれるのは、そこからだ。

マイノング――存在しなくても、「それ」は丸くて四角い

マイノングは、「どのようなものか」と「存在するか」を分けて考える。

丸い四角形は、丸くて四角い。それが存在できないからといって、丸いという性質や、四角いという性質まで取り消されるわけではない。1904年の「対象論」では、こうした考えが示されている。[1]

注文の例に重ねるなら、作れないと判明した後も、「その型は丸い」「その型は四角い」と、同じ型について話し続けられる、ということだ。

この立場では、存在しない丸い四角形も、性質を述べる相手として認める。

ここでの「対象」は、注文の文章や頭の中のイメージではなく、それらが指している丸い四角形のことだ。ただし、対象として認めることと、実在すると認めることは、別なのだ。

この考え方の便利さは、僕たちが普段している話し方を保てることにある。

「それはどんな形?」には「丸くて四角い」と答え、「それは存在する?」には「存在しない」と答える。存在できなくても、何について、どんな性質を述べているのかを、一つの対象に結びつけて扱える。

もっとも、注文に書いたから対象がある、ということが証明されたわけではない。存在しない場合にも、このような対象を認めて言葉や思考を説明しよう、という理論上の立場だ。

※現代の論理の言葉を借りれば、対象を「個体」として扱うとは、論理の中で変数が取りうる値の範囲に、その対象を含めることだ。たとえば記号 a でそれを指し、「a は丸い」「a は四角い」と述べる。「個体」は、触れられる物体という意味ではない。

対象を認めるなら、推論のルールも必要になる

その扱い方には、難しさもある。

丸い四角形を a と呼び、「a は丸い」「a は四角い」を両方認める。そこへ、普通の図形についての「正方形は円ではない」という関係を、そのまま当てはめてみる。

すると、「a は丸い」と「a は丸くない」が、同時に導かれてしまう。ラッセルが問題にしたのは、このような矛盾だった。[2]

困るのは、「矛盾したので、それ以上考えられない」ということだけではない。

数学で標準的に使われる古典論理では、矛盾する二つの主張を両方とも前提として認めると、そこから無関係な結論まで導けてしまう。これを「爆発原理」と呼ぶ。たとえば型の形についての矛盾から、「台所の冷蔵庫は空を飛ぶ」という結論さえ導けるようになる。[3]

現実の冷蔵庫が飛び始めるのではない。何でも結論にできてしまうので、その推論では、何を認めてよいかを区別できなくなるのだ。

存在しない対象なのだから矛盾していても構わない、とは言えない。どの性質を、どの意味で認め、そこから何を導いてよいかを定める必要がある。

ラッセル――型の性質と、注文の条件を分ける

「頼んだ型は丸いの?」

マイノングの立場なら、存在しない型を対象として認めたうえで、「それは丸い。四角でもある」と性質を語れる。

ラッセルは、そうした対象を認めずに、発言の内容を説明しようとする。1905年の「指示について」で示した、記述を分析する方法だ。[2]

注文の例を使って、その違いを考えてみたい。

「丸いの?」が、注文にどんな条件を書いたかという質問なら、こう答えられる。

「円であることを、注文の条件に含めているよ」

ここで説明しているのは、注文の内容だ。「丸い」という性質を持つ型がある、と認めたことにはならない。

一方、注文した条件を満たす型について、その形を聞いているのなら、まずこう答えることになる。

「その条件を満たす型は存在しない」

円であり、同時に正方形でもある輪郭はない。だから、その型があるものとして「丸い」「丸くない」と性質を振り分ける前に、質問に含まれている存在の前提を確かめる。

ラッセル自身は、「丸い四角形は丸い」という文を、その条件を満たす対象の存在も含む主張として分析し、偽とする。これは、「丸くない型がある」という意味ではない。条件を満たす対象がないために、主張が成り立たないということだ。[2]

こうして、注文の条件については話せるし、その条件を満たすものが存在しない理由も説明できる。どちらの説明にも、「存在しない型」という対象を用意する必要はない。

ただ、日常の話し方からすると、少し手間がかかる。

僕たちは普段、「それは丸い」と短く言う。その発言を厳密に説明しようとすると、型の性質を述べているのか、注文の条件を述べているのかを、分けて考えなければならない。普段の会話を毎回言い直す必要はないけれど、論理的に分析するときには、この作業が必要になる。

その手間と引き換えに、避けられる問題もある。

「円であり、正方形でもあることを条件として求めた」と述べるだけなら、「ある対象が実際にその両方の性質を持つ」と認めたことにはならない。条件が両立しないとわかれば、「それを満たすものはない」と結論できる。

矛盾する条件について議論することと、矛盾する性質を持つ対象を、推論の前提として受け入れることは違う。

後者を避ければ、先ほどの爆発原理につながる矛盾は生じない。それが、今回の例で見えるラッセルの方法の利点だ。

※ここでは、ラッセルの記述の理論のうち、今回の比較に必要な考え方を取り出して説明している。厳密には、特定の一つを指す記述について「条件を満たすものがただ一つである」という条件も扱うが、本稿ではその説明を省略した。注文についてのやり取りは、違いを説明するための本稿の例である。[2]

同じ「ない」でも、話の進め方が変わる

机の上には、同じ注文用紙がある。

「完全な円であり、同時に正方形でもあること」

この条件を満たす型は作れない。その点では、二人の結論は変わらない。違うのは、作れないとわかった後も、何を対象として話し続けるかだ。

マイノングは、存在しない型を対象として認め、「それは丸い」「それは四角い」と直接語る。存在しなくても、その対象がどのようなものかを説明できる。一方で、矛盾する性質をそのまま通常の推論に持ち込むと問題が生じるため、性質や推論の扱いを精密にする必要がある。

ラッセルは、その型を対象として認めずに、「注文には円であることが条件として含まれる」「すべての条件を満たすものはない」と説明する。短い発言を分析し直す手間はかかるが、矛盾する性質を持つ対象を受け入れずに話を進められる。

比べる点 マイノングの立場 ラッセルの立場
話の進め方 存在しない型の性質を語る 指定した条件と、それを満たすものの有無を語る
便利なところ 「それは丸い」と直接語れる 矛盾した対象を前提にせず説明できる
必要になる作業 性質や推論のルールを整える 発言に含まれる主張を分析し直す

単に「対象」と呼ぶか、「条件」と呼ぶかを選んでいるだけではない。何に性質を認め、何を前提にして、その先の推論を進めるかが変わる。

もちろん、存在しない対象を認める理論が、すべて矛盾で行き詰まるわけではない。先ほどの推論の課題に対して、後世には具体的な理論が提案されている。

たとえば一つの方法では、対象が「丸いという性質によって規定される」ことと、「円の定義を実際に満たす」ことを、異なる関係として区別する。専門的には、性質の「符号化」と「例化」の区別と呼ばれる。前者から後者へ無条件に移ることはできない。[4]

注文の例で言えば、指定された性質について話すことと、完成した型に定規を当てて確かめることを、混ぜない工夫に近い。

これは、マイノングの説明をそのまま保存したものではなく、その発想を組み直した理論だ。「ない」ものを対象として扱うために、性質の語り方まで精密にする。その分、必要な区別やルールは増える。

ラッセルの方法も、あらゆる議論の矛盾を防いでくれるわけではない。ここで比べたのは、丸い四角形をどう扱うかという、一つの分かれ道だ。

僕は最初、「存在しない」とわかれば、その話は終わるように思っていた。

けれど、「それは丸いの?」と問いを一つ続けるだけで、話は分かれていく。存在しない対象の性質を語るのか。注文した条件を説明するのか。どちらにも便利さがあり、引き受けなければならない手間がある。

「ある」ものについて話すとき、この分かれ道は現れない。目の前の型なら、性質も、条件を満たしているかも、定規を当てれば済む。作れない型だからこそ、ふだんは見えない分かれ道が見えてきた。

注文した型は、結局、一つもできなかった。それでも、その「ない」は、ただの無ではなかった。

何も作れない注文用紙を前にして、僕たちには、まだ話すことが残っている。

次回は、条件どうしの矛盾から、この世界の物理法則による制約へ進みたい。前回の、電池が減らず、外からエネルギーも受け取らないスマホの話だ。

出典・参考資料

  1. Alexius Meinong(1904)「Über Gegenstandstheorie(対象論)」『Untersuchungen zur Gegenstandstheorie und Psychologie』pp.1–50、主に§§2–4。原文の電子翻刻(1913年再録版に基づく)。対象の規定内容と存在の区別、丸い四角形、対象と心的表象の区別を参照。本稿の説明は要約であり、直接の翻訳引用ではない。
  2. Bertrand Russell(1905)「On Denoting(指示について)」『Mind』14(56), pp.479–493。香港中文大学公開本文。記述を含む文の分析、存在・一意性・性質の条件、丸い四角形をめぐるマイノングへの批判を参照。公開テキストは1956年『Logic and Knowledge』収録版に基づく。
  3. 「Paraconsistent Logic」『Stanford Encyclopedia of Philosophy』、冒頭および§1。古典論理における爆発原理の定義を参照。本稿は、マイノング本人がこの項目で紹介される現代の論理体系を採用した、と主張するものではない。
  4. Edward N. Zalta, 「The Theory of Abstract Objects」、特に “The Distinction Underlying the Theory”。性質の例化と符号化を分ける、公理化された対象理論の説明を参照。これは後世の再構成の一例であり、マイノング自身の理論と同一ではない。この理論での抽象的対象の存在と、円であり正方形でもある実物の存在も区別される。

著者

かったつ

世界のことは、知れば知るほど分からなくなる。哲学や数学、物理を行き来しながら、地球に生きる私たちと世界との不思議な関係を、身近な疑問から一緒に考えます。

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