てっすうぶっち、について

世界には、分からないことがたくさんあります。

宇宙はなぜ存在しているのか。
時間とは何なのか。
意識はどこから生まれるのか。
数学は人間が発明したものなのか、それとも、もともと世界に存在していたものなのか。
私たちは、本当に自分の意思で物事を決めているのか。

そして、もっと身近なところにも問いはあります。

なぜ楽しい時間は短く感じるのか。
なぜ人は、自分に都合のいい情報を信じてしまうのか。
なぜ同じ一日なのに、幸福な日とそうでない日があるのか。

考えてみれば、私たちは分からないことだらけの世界で生きています。

それなのに大人になるにつれて、分からないことに立ち止まる時間は、少しずつ減っていきます。

仕事をする。家族と暮らす。お金を稼ぐ。何かを決める。評価される。失敗しないようにする。

もちろん、どれも大切なことです。

けれど、それだけが人間の営みなのだろうか、と私は思います。

自分の仕事とも、利益とも、明日の予定とも直接関係のないことを考える。

何億光年も離れた宇宙について考える。
無限という、触ることのできないものについて考える。
「自分とは何か」という、何千年考えても答えの出ない問いについて考える。

そんなことができるのも、人間です。

むしろ、目の前の役に立つかどうかをいったん忘れて、自分の身体や人生や時代を超えたものを想像できることは、人間が持っている、とても大切な力ではないでしょうか。

てっすうぶっちは、その力を使う場所をつくりたいと思って始めました。

哲学は、当たり前だと思っている前提そのものを問い直します。

数学は、直感では届かない構造を、論理によって見せてくれます。

物理は、時間や空間や物質といった、私たちが生きている世界の仕組みを観測し、確かめようとします。

そして、それらを知って終わりにはしたくありません。

宇宙の話も、量子の話も、無限の話も、最後にはこの地球で生きている私たち自身へ戻ってくる。

世界について考えることは、自分について考えることでもあるからです。

てっすうぶっちは、何か一つの「正しい世界観」を教える場所ではありません。

世界について、私たちはまだほとんど何も知らない。

いま正しいと思っていることも、未来には書き換えられるかもしれない。

だからこそ、問いを立てる。調べる。考える。確かめる。そして、間違っていたら考え直す。

その繰り返しを大切にします。

私は、知ることには少し不思議な力があると思っています。

世界について何かを知っても、目の前の風景そのものは変わらないかもしれません。

でも、見ている側が変わります。

夜空の星が、ただの光の点ではなくなる。

一日という時間が、当たり前に流れているだけのものではなくなる。

自分の悩みを、昨日までとは少し違う距離から眺められるようになる。

同じ世界にいるのに、世界が違って見える。

そんな瞬間があります。

てっすうぶっちが作りたいのは、知識の倉庫ではありません。

「へえ」で終わる雑学でもありません。

読んだあと、いつもの世界を見たときに、ほんの少し何かが違って見える。

そこからまた、新しい問いが生まれる。

そんな小さな変化を、一つずつ積み重ねていくメディアでありたいと思っています。

世界は、知るほどに新しい謎を現します。

たぶん私たちは、この世界のすべてを理解することはできません。

それでも、分からないから考える。

見えないから想像する。

答えがないから、問い続ける。

その営みそのものに、意味があると私は思っています。

未知をひらく。
ぞくぞくする。
世界が変わる。

その瞬間を、ここで一緒につくっていけたらと思います。

問いは、私たちの灯り。
このわからない世界を、照らしていく。