「存在しない」を考える

存在できるのに、なぜ今ここにはないのか|「存在しない」を考える〈第4回〉

20枚のコインの並び方は、1,048,576通り。机にできるのは、そのうち一つだけ。存在できるのに、今ここにないものは無数にある。では、今ここにあるものは? 粘土と雪からたどると、問いは自分へ返ってくる。連載「存在しない」を考える、第4回。

文・編集|かったつ 約7分
存在できるのに、なぜ今ここにはないのか|「存在しない」を考える〈第4回〉

シャーロック・ホームズは、ロンドンに住む探偵だ。コナン・ドイルの小説を開けば、彼の住まいがあり、友人との会話があり、事件を持ち込む依頼人がいる。

観察力に優れた探偵がいることに、無理はない。条件は矛盾しないし、物理法則にも反しない。それなのに、ロンドンのどこを探しても、彼はいない。

第1回で、「存在しない」を三つに分けた。条件が両立しない。物理法則が許さない。いてもおかしくないが、実在しない。前回までに、最初の二つを考えてきた。今回は、三つ目の「ない」だ。

存在できるもののうち、あるものは実際に生まれ、あるものは生まれない。今ここにあるものと、ないもの。その違いを、少したどってみよう。

どんなものかを決めても、実物は生まれない

人物紹介には、いくらでも書き足せる。生まれた町、育った家、身につけた技術。出来事を順に並べれば、その人が探偵になるまでの道のりも描ける。

けれど、人生を書くことと、その人が生まれることは別だ。ドイルが作品を書いたからといって、ロンドンに生身のホームズが現れたわけではない。どんなものかをどれほど詳しく決めても、それだけでは実物は生まれない。

丸い四角形も、電池の減らないスマホも、条件と法則を確かめれば「ない」と言えた。どちらの判定にも、時間は出てこなかった。けれど、三つ目の「ない」は、それでは片づかない。条件をどれほど確かめても、実物が今ここにあるかどうかは決まらないからだ。

三つ目の「ない」を考えるには、時間が要る。

机の上に粘土を置いて、考えてみよう。

始まる、できあがる、残る

柔らかな粘土を、同じ大きさで四つ用意する。どれも、サイコロのような四角い塊にできるものとしよう。

一つ目には、手をつけない。

二つ目は四角く整え始めるが、途中でやめて丸めてしまう。

三つ目は四角く仕上げる。そのあとで、もう一度丸めてしまう。

四つ目も四角く仕上げる。こちらは崩さず、そのまま置いておく。

机の上に四角い塊があるのは、四つ目だけだ。ほかの三つにはない。ただ、その「ない」までの道のりは、それぞれ違っている。

この違いをたどるために、三つの目印を置いてみる。起点、形成、存続だ。

観点 確かめること 「ない」に至る道のり
起点 生まれるための変化が始まったか 始まらなかった
形成 必要な時間を経て、できあがったか 途中で止まった、別の結果になった
存続 できあがったあと、今まで残ったか 壊れた、消えた、形が変わった

三つのあいだに、はっきりした境目があるとは限らない。一つのものが今に至るまでを、順にたどるための目印だ。

粘土の形を変えたのは、人の手だった。人が手を触れないところでは、何が形を変えるのだろう。

雪はできた。それでも、地上にはない

雪の結晶には、星のようなものも、細い柱のようなものもある。材料は同じ水で、従う物理法則も同じだ。

雲の中で小さな氷の粒ができ、周りの水蒸気を取り込みながら育っていく。形を分けるのは、育つあいだに通った雲の中の温度や湿り具合だ。

たとえば、柱として育ち始めた結晶が、途中で板のできやすい環境へ移ると、柱の両端に薄い板が広がる。小さな糸巻きのような形だ。[1]

人の手がなくても、たどった順序が形を決める。

そうしてできた雪も、地上に届くとは限らない。落ちる途中で溶ければ、雨になる。

地面に落ちた一滴が、少し前までは雪の結晶だった。

材料の水はある。雪の結晶は、もうない。

では、一つの姿が今ここにあるとき、ほかにどれくらいの可能性があったのだろう。

百万通りあっても、机にあるのは一つ

雪の形をすべて数えるのは難しい。もっと数えやすいものとして、20枚のコインを並べてみよう。

1枚ずつ投げて、出た面を上にし、左から順に並べていく。表も裏も出る確率は2分の1で、前のコインの結果は次に影響しないものとする。

1枚なら、並び方は2通り。2枚なら「表・表」「表・裏」「裏・表」「裏・裏」の4通りになる。1枚増えるたびに2倍になり、20枚では、1,048,576通りだ。

それだけの並び方があるのに、この一回で机にできるのは一つだけ。残りの1,048,575通りは、どれも起こりえたが、この一回では起こらなかった。

世界全体の「ある」と「ない」まで、この数字で比べられるわけではない。それでも、たった20枚のコインで、可能性のほとんどはこの一回には現れない。

ここにない並びは、どこかで壊れたわけでも、何かが足りなかったわけでもない。この一回で、別の並びができた。

ここにない並びは、別の並びができたことの裏側にある。

途中でやめた二つ目の粘土も、似ている。四角い塊はできなかったが、代わりに丸い塊ができた。

そして、並べ終えたコインに手を触れずにおけば、その並びが残る。集めてしまえば、もうない。できあがったあとにも、続きがある。

僕という、一つの結晶

ここまで、「ない」ものをたどってきた。けれど、たどるうちに気になってくるのは、今あるもののほうだ。

第1回で、三つの「ない」を一つずつ考えていけば、「ある」ものだけを見ていては気づけないことが見えてくるかもしれない、と書いた。今回見えてきたのは、「ある」ものが通ってきた時間だ。

僕も、その一つだ。

僕には父と母がいる。父と母にも、それぞれ父と母がいる。一代さかのぼるごとに、祖先の数は2倍になる。コインを1枚増やしたときと同じだ。

20代さかのぼると、数百年前になる。そこには、1,048,576人分の席がある。先ほどの20枚のコインの並び方と、同じ数だ。

実際には、同じ人が家系の何か所にも現れるので、別々の人がこれだけいたわけではない。それでも、その席の一つひとつに、誰かの人生があった。

その一人ひとりが生まれ、育ち、子どもを持つまで生きた。ある人は別の町へ移り住み、そこで、たまたま誰かと出会ったのかもしれない。

その人たちがみんな、未来の僕を生むために暮らしていたわけではない。そのときどきの出来事があり、選択があり、偶然が重なっただけだ。

けれど、どこか一つが違っていたら、どうだろう。誰かが別の町にとどまっていたら。出会う日が、一日ずれていたら。生まれてきたのは、僕ではない誰かだったかもしれない。

一人の子どもが生まれるときにも、どんな組み合わせになるかは偶然に左右される。そのたびに、ほかの可能性は、ここにはない側へ回っていく。

20枚のコインでさえ、百万通りを超えた。何世代もの出会いと誕生を重ねた可能性は、数えようとしても数えきれない。かりに数えられたとしても、その桁は、無量大数という言葉でも足りないだろう。

雪の結晶は、同じ水から、たどった順序によって形が決まった。僕も、同じだ。

僕は、数えきれない可能性の中で、たまたま形になった一つの結晶だ。

雪の話には、続きがあった。できた結晶も、地上に届くまでに溶けてしまうことがある。

僕も、生まれたところで終わりではなかった。人は、自分だけでは食べることもできない時期を通ってくる。誰かが食べ物を用意し、身体を支える。大きくなってからも、食べて、眠って、また起きる。思いがけないことが起き、誰かに助けられ、そうして一日ずつ過ごした、その続きに今日がある。

この形も、いつまでも続くわけではない。だからこそ、今日まで残ってきたことが、少し不思議に思える。

ホームズには、書かれた人生がある。僕には、実際にここまで続いてきた人生がある。この身体で過ごしてきた日々は、ほかの誰のものとも取り替えられない。

これは、僕だけの話ではない。この文章を読んでいる人の後ろにも、その人だけの、数えきれない出会いと日々がある。

「今ここにいる」という短い言葉の中に、これだけの時間が入っている。

そう考えると、ここまで来た自分を、今日は少し大事に扱ってもいい気がする。


次回は、ずっとそこにあったのに、僕には見えていなかったものについて考えたい。

出典・参考資料

  1. Kenneth G. Libbrecht(公開年記載なし)「Frequently Asked Questions about Snow Crystals」および「A Guide to Snowflakes」のCapped Columns。Caltech公開資料。結晶の成長と、環境の変化によって柱の両端に板が育つ過程を参照。

著者

かったつ

世界のことは、知れば知るほど分からなくなる。哲学や数学、物理を行き来しながら、地球に生きる私たちと世界との不思議な関係を、身近な疑問から一緒に考えます。

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